冷えとりでぬくもり暮らし

冷えとりでぬくもり暮らし

イモリとくつ下を愛する いろいろ手を出しながら ゆる~い冷えとり運営中

否定ばかりや、不安にさせることばかりいう人の傍にはいたくないよね

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ひとが信じてやってる事を否定する人ってなんなんだろう。

 

あなたになにか迷惑をかけたかい?と言いたい。

高額な薬やグッズをを売りつけられたりしたのだろうか?

毎日勧誘されたり集会に連れてかれたりしたのだろうか?

それなら確かに嫌だけど、矯正しようとするより距離を置いた方がいい。他人でも身内でもそんな相手はもう大人なんだろうから、世話する責任などない。

 

だいたいはそんな事は起きていなくて、おせっかいで自分が信じられないものは否定する人が多んじゃないかと思う。

今回私が言ってる話はだいたい医療や健康法の話。

 

はじめから親身になって一緒に考えていたら、否定する事態も起こらない

 

あとになって、あの民間療法はインチキだったとか、もっと早い段階で適切な治療を受けてさせていたらとか、

当の家族でもないのに、不幸だと決めつけるのはなんなんだ。

 

家族は悔やんでるかな?そうかもしれないし、わからんけども。

考えだしたらキリがない問題だと思う。

 

本当にウソの情報で利益を得ることを目的とした悪徳な業者もあるでしょうよ。

それは摘発して撲滅せねばならない!という主張もわかる。

 

しかしまだ分からないことだっていっぱいあるんだから、どれが効果があるかないかなんて素人が特定できるのか?

表面しか見てない情報で判断できるのか?

本人や家庭の状況だとか、いろいろ考慮したうえの選択だったんじゃないの?

 

遠いところで断片的な事しか知らない人の批判は、何言ったってうるさいだけだ。

 

嘘くさいと思うなら、あなたはそれを選択しなければいいんだよ。

家族が治療法で悩んでいるならば、その段階から一緒に悩んであげればいいんだよ。意見をすり合わせながら一緒に探したらそんなにズレることもないでしょう。

 

本人が決めて取り掛かるまで放っておいたくせに、あとから非難や否定だけするのなんてお門違いだ。

そんな相手と今からでも親密になりたいと思うなら否定から入らず、まず相手の気持ちに寄り添うべきだ。

 

最期に思いを伝えて死ねるということ

 

医療が「死なない」ことが目的ならば、それは無理な話だ。

人は絶対死ぬものね。

「少しでも長生きする」ことが目的ならば、どんな状態でも「生きている」事実だけに拘るなら、動けなくても喋れなくても食べれなくても笑えなくても泣けなくても命を多少繋ぐことはできるでしょうよ。

 

私なら「自分らしく生きて死にたい」。

その手助けを医療に求めるよ。

 

自分で選びたい。そして誰のせいにもしたくない。

どんな治療受けたいか、どんな風に死にたいか。

死に方を選ぶのはものすごく贅沢なことなのかもしれないけれどさ。

 

早すぎる死は確かにかなしい。

残された方もくるしい。

 

でも最期に伝いたい言葉を愛してる人に

伝えて逝けるってことに、私はすごく幸せを感じたのですよ。

私もそんな風に死にたいと思うのですよ。

 

それってなにか間違ってたかな?

違う治療で得られた違う未来では、確かに病気を克服した未来があったかもしれない。

でももっと苦しいし未来もあったかもしれない。わからんよ。

決して悪い終わり方じゃないと思ったのは私だけですか?

 

続けられるのにはそれなりの覚悟と理由がある

 

どんなことでも自分で行動して続けるのは大なり小なり大変な事でしょう。

たとえば冷えとりだけど、くつ下の重ね履きや半身浴なんて簡単な部類だけど毎日続けるとしたら何もしないよりははるかに面倒(だから半身浴は週2くらいだし)

それを続けられるのは、私の体がやっかいな状態になって病院も通ってそれでもどうにもならなかったから。そこから自分で探して出会った方法で、試していいなと思ったから。

だからこんなふうに冷えとりブログ書いてはいるけど、健康になんの不安もない人がこのブログ来て急に冷えとりを始めるなんてこと全く思ってないですよ(笑)

 

定期的にブームが来るような、芸能人の〇〇がやってるから!なんて動機で始めた健康法なんてまあ続かない。

続けられている人にはそれなりの覚悟と理由がある。

 

「そんなの効果ないに決まってるじゃん」なんて言葉は他人に言われなくても、本人が1番考えたことでしょうよ。だって自分のことだよ?真剣に決まってるじゃん。

病院だってもちろん行って、ネットや本も読んで調べて、いろいろな選択肢の中から選んだものがそれだったんだろう。

 

それを他人が否定することなんてできるのかね?

否定してそして、説得力のある代替品を提示してくれるのかね?…政治の話みたいだけど言うだけ言ってほったらかしは無しだぜ(笑)

ハイあなたのその意見はすでに検討済みです、それでも私はこれをやっているんですけど?え?それでも科学的根拠がないから怪しい?根拠があるのものの中から選ばないと許さない?あなたの体でもないのに?

 

本人が現状を何とか変えたくてトライしていることを否定して、そのままそこにいろというのか。

効果が実証されていると同時に金や苦痛を伴うことも実証済みのことを強制するというのか。

他人にその痛みを背負うことはできないというのに安易に推し進めるのか。

 

いやいや自由にさせてくださいよ。

やっぱ無いなと思ったらやめますよ。

それで自分の選択ですから、誰も恨んだりしませんよ。

 

あなた(他人)の後悔なんてどうでもいい、本人が後悔しなければ

 

他人にできることなんて、見守って手助けして、よく話を聞くことくらいなのかもね。

これはどんな医療でもそうだと思うけれど、いい面ばかりじゃないこともある。

副作用や体質に合わない不調や、冷えとりのめんげんも、体にとってつらいところが出るたびに本人は不安になるだろう。

否定も、応援もしなくていいと思う。

 

不安は聞いてあげる。

本人がやりたい医療を選び実行できるよう手助けしてあげる。

本人がやっぱり辛い、やめたいと言ったらそれでもいいと言ってあげる。

その人の体のことはその人の自由にした方がいい。

 

あとあとの他人の後悔なんて二の次でいいんだよ。本人が後悔しなければ。

 

よく考えずただ盲信しているだけの人だったら、自分に合っていないものでも無理に続けてしまうかもしれないから周りの客観的な目も大切だけど、

リスクを考えずに盲信できる人なんてまだ本気で体調不良で悩んだことがない人な気がする。

 

買い物する時だっていい面と悪い面、どっちも考えて選択するのが常でしょう。

誰にでも効果的で魅力的で手が出る金額のものばかりが存在してるわけないと思う。例え命がかかっていてもね。

 

大切な人と、日々お話がしたい

 

毎日更新されていく。

水害の事故も多く報道されている。

事故や急病で、さよならも言えない人がたくさという中で、やっぱり死に方を選べるというのはとても贅沢なことだと思った。

 

もしかしたら私の意識はなくなって、身近の大切な人が私の命の選択を迫られるかもしれない事態を想像する。

その時私とその人の心ができるだけ繋がっていたらいいなと思う。

「私ならこうしたいだろう」と考えて選択をしてくれたら嬉しい。

私もそうしたい。

まぁ、お互いのエゴで相手の延命を望んでしまってもそれは「仕方ないなぁ(笑)」

と許せるような関係でいたいね。

 

そんな感じで、毎日大切な人とたくさん取り留めのない話ができたら嬉しく思う。

 

そんな関係性だから相談できることもある。

そんな人の言葉だから受け入れられることもある。

それが周りにできる癒しで医療だと思う。

 

最近は忙しくてあんまりお話出来ていないので反省。

この気持ちを上手く伝えたいが難しい。

 

 

 

 

 

あの報道からしばらくした時に下書きに途中まで書いて放置してあったもの。

こういうのはいつ公開するかタイミングに悩みます。まとまりもないですが、もういいやって感じで。

ここまで読んで下さりありがとうございました。