冷えとりでぬくもり暮らし

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イモリとくつ下を愛する いろいろ手を出しながら ゆる~い冷えとり運営中

無償の愛が信じられなくて失敗した恋の話

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こんにちまる!なぺこです。

 

過去の恋愛で失敗したことが、今でも苦い思い出としてよみがえることがあります。

それは悪い思い出というわけではなくて、過去の相手を憎らしく思う気持ちでもなくて、

ただあの頃の私自身がもっと自分の気持ちをごまかさず見つめることができたなら、何か違った形があったんじゃないかなぁという申し訳なさです。

 

結果論ですが(^^;)

 

何年かたった今だからやっと見えてきたものがあります。

 

 

 

元恋人は純粋な人だった

 

学生のころから社会人になってからも、約7年お付き合いした元恋人Ⅰくん。

コツコツ努力を積み重ねる人。自分の分野ではこだわりが強く妥協を許さない人。

芸術肌というか、クリエイターとしての才能を感じました。

優しかったし面白いことを知っていました。

自分の気持ちを言葉にするのが苦手な人でした。

放っておくのはちょっと心配になるような、母性本能をくすぐる要素もありました。クリエイターって、ハマるとそれ以外をすべておろそかにする傾向があると思うんですよね(笑)

 

Ⅰくんは純粋な人でした。

私からの愛を疑わず、自分の愛情も包み隠さない。

言葉で確認したことはありませんが、彼は無償の愛を信じていました。

 

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私は、私も当時は無償の愛を信じていたかもしれません。

というか、Ⅰくんを見ていて、私もそういう愛情で接しないといけないと思ったのかも。きれいなものにはきれいな気持ちで応えないと、みたいな。

でも結局のところ、価値観を変えることはできなかったんですよね(^^;)

 

私はやっぱり無償で愛を与えられなかった

困窮すると与えることばかりでは不満が溜まってくる

 

社会人になってから私たちはいろいろあって、Ⅰくんは安定した仕事を辞めて、貯金を使いながら創作活動に力を入れました。

その制作がお金になったりもしましたが、安定はしていません。

私は自らもまだクリエイターの道を目指していましたが、非安定の収入が不安すぎたのでアルバイトを始めました。彼に頼ることもできなそうだし、彼のように貯金があったわけでもありませんから。

 

ほぼ同棲状態で過ごしていました。

私はアルバイトをして、家事全般をしていました。

彼は創作活動を頑張りました。

光熱費などのお金は私のアルバイト代で賄われました。(ほぼ帰らないアパートを彼も借りていたので、家賃はお互いの部屋の分を払っていました)

 

彼が創作している時はバイトと家事。

彼が手が空けば、恋人として私は束縛される。(=いちゃつきたいということ)

私の創作活動の時間は無くなりました。

 

家事を手伝ってほしいと思いましたが、彼の創作活動を邪魔をしたくなかったんです。だってそれが彼の生活を支えるお金に関わってくるんだもの…

ちょっとでもいいものを作らないといけない。

そしてこだわるタチのⅠくんは妥協しないから、自分がハマっているときはほかのことは見えなくなるのです。

 

私だってしたいことがあるのに、どうしてできないんだろう。

私だって頑張っているのに、どうしてお金は減っていく一方なんだろう。

かなしいかな、困窮していくと今までは大丈夫だったことも苦しくなっていくんですよねぇ

 

寒い窓辺

与えられる愛情が、私がほしい物ではなかった

 

無償で、を心がけていても

困窮によって、与える・与えられる判定がシビアになっていく私(^^;)

 

はじめは尽くしている自分の充足感でバランスをとっていましたが、だんだんきつくなっていきました。

 

いつしか私は

身の回りのお世話をする家政婦。

休息時に愛玩するためのペット。

したい時に気軽にできるダッチワイフ

自分をそんな存在に感じはじめました。

 

もちろんⅠくんはそう思ってはいなかったでしょう。

彼は彼なりの愛情表現をしていたのです。

家事をすればありがとうと言ってくれたし、たまにはお弁当を買ってきてくれました。

可愛がるのも私を可愛いと思ってくれたからでしょうし、

セックスも私が好きだからしたかったはずです。

 

私は…

たまには家事をすすんでやってくれたらもっと嬉しかった。

お金がないのにたくさんお金使って外で買ってくるより、チャーハンでも焼きそばでも何でもいいからご飯作ってくれたら嬉しかった。

自分が一息ついたタイミングで構いに来るのではなくて、私が落ち込んでいる時に話を聞いてほしかった。

私が体調が優れないときは、セックスはしないでほしかった。つらいと泣いたら途中でもやめてほしかった。

 

愛情が根本にある行為でも、私と Ⅰくんとは少しずつズレが生じていました。

 

好きな人の愛情を拒否するのは難しい

 

相手が純粋で、疑うことを知らなければなおさらです。

愛情を拒否した自分が悪者に思えて仕方がありません。

せっかくくれた愛情を否定して傷つけるのは、好きな相手であるほど胸を傷めます

 

そう思って強く言えなかった私。

今思うとそれがよくなかったのかなぁ。

でも、良かれと思ってしてくれたことを否定するのなんて、今でもできないよ…

 

与える側が、この愛情が重荷になっていないかよく考えてほしい、だなんてわがままですかね?

自分があげたいだけになっていないか、都合のいい時だけ、都合のいい物だけをあげていないか、考えてみてほしいです。

 

いつしか自分をごまかすようになる

私は今のままで幸せなんだ、というごまかし

 

与えて受け取りたいものがズレていることは多々あることでしょう。

しかしいつまでもうまく意思の疎通が足りなくて、ズレが埋まらない。または拡がってしまう。

それなら仕方ないと割り切って、新しい出会いを探せたらいいのですが…

 

私も、たびたびもう別れた方がいいのかもしれないと思うようになりました。

しかし関係が長く続いている程に簡単には別れられないのが恋愛です...

嫌いになったわけじゃないから。ひとりはやっぱり寂しいし、愛情は確かにある。

 

別れを選ぶということは、今までかけてきた時間も愛情も全部間違いだったような気持ちになる。

なんとか成功させないと、ハッピーエンドに持って行かないと、

私の今まで積み重ねてきたものは何だったんだろう。 

長く付き合うほど、そんな風に思えてしまうのです。

 

前向きに生きようとするほどつらいことをガマンとしながら生きていくのは苦しすぎます。自分の人生を否定していることになるから。

でも慣れてしまった生活を変えるのも怖くて寂しくて、もちろんつらいことだけではないし、力の抜き方も多少身についたからなんとかやれないことはない。

 

生活を変えるより、Ⅰくんを変えるより、自分の考え方を変えるのが1番ラク。

だから、つらいと思わなきゃいいんだ

私は今持っているもので充分幸せなんだよ?そうだ。

多くを望むから苦しいんだ、私はこれで幸せなんだ。

そうやって自らに暗示をかけるようになりました。

 

ごまかしはいつか醒める

 

2年ほどごまかし続けて、けっこうそれが馴染んできて(笑)前より苦しむことがなくなりました。

急にわけもわからす泣き叫びたくなったり、消えてなくなりたくなったけれど、本当にその理由が自分でもわからなくなるんです。

今なら積み重なったもろもろのせいだったんだと思いますが、意識ではそれを無かったことにしていたのでわからなくなっていたんですね。

 

しかしあるとき

唐突に醒めました。

 

ごまかしの時期は、周りのきらびやかな人種を見ると苦しくなるので極力内にこもっていたのです。

でもあるきっかけでまた周りの世界に目を向けてみた。他の人と話をしてみた。Ⅰくん以外の人と楽しんでみた。

すると、自分の可能性や希望がまだあることに気が付きました。

 

ここにいるままでは、私はこれから先も自らを

Ⅰくんの家政婦兼ペット兼ダッチワイフとして扱うことになる。

 

それはⅠくんがさせたことではありません。

私の価値観とⅠくんの価値観の違いです。

 

何度か大きなケンカをして、私は彼に気持ちをぶつけました。

でも理解を得られなかったというか、噛み合わなかったというか。

そのときはまだ私自身もうまく気持ちを整理できていなくてきちんと言葉にできなかったせいもありますが、彼とやり直すことはできないと思いました。

 

今ならもう少しうまく説明できたかもしれない(^^;)

 

私が唐突に醒めたということは、彼にとっては寝耳に水、青天の霹靂ということで。

今までうまくやってきたじゃないか、と。

なんで急にそんなことになるんだよ、と。

大層傷つける結果になってしまいました…

 

私が自分をごまかし続けてきたせいで見えなかった負債。

内緒にしていたけど実はふたりでためてきた借金がこんなにあったのよ!と、急に支払いを命じたみたいになってしまいました。

そこはほんとに申し訳なかったな…

 

だから別れ方もよろしくなかったし、つらい別れになったし、ずいぶん引きずったし、友達には戻れませんでした。

きっと今でも、会ったら罪悪感とたくさんの思い出で胸をえぐられそう。

これを書いている今もまだ痛む。

自分をごまかすと、自分だけじゃなくて周りも余計傷つけてしまうものかもしれません。

 

さてこれはどちらが悪いのか?

恋愛に良い悪いはない 

 

はじめに過去の恋愛の失敗、と書きましたが、失敗とは違うような気もします。

もっといい方法はあったかもしれませんが、それはあくまでいい終わり方の方法に過ぎなかったように思います。結果は同じだったかも。

 

彼は無償の愛を信じていたから、自分の与える愛情は私がすべて喜んで受け入れているものだと思ったのかもしれません。

喜んで受け入れてられると彼が望んでいたから、かえりみなかった?疑わなかった?

それを純粋に受け入れられなかった私が歪んでいた?ワガママだった?

 

いえいえ、

終わってしまう恋愛はどっちかが悪いとかなくて、そもそも良い悪いではなくて、

合うか合わないか、もしくは合わせられるかではないでしょうか。

 

自分の価値観を認めてあげる

不揃いなボタン

 

私が自分の価値観をⅠくんに合わせようとして、でも結局できなくて勝手に苦しくなりました。

 

一言でいうと、こんなに長く書いといてものすごい薄っぺくなるのですが、

単に私たち合わなかったんだなぁというだけの結末です(笑)

結局恋愛なんてそれに尽きる!!

 

合う人と付き合えばよかったんです。

愛にシビアな価値観がある人と!(笑)

無償の愛とかキレイな価値観に引きずられて、自分の価値観は汚いと、否定からのごまかしにかかったのが間違いだったんだと思います。

 

まずは自分の価値観を認めましょう。

 

一般平均の価値観とそぐわなければ悪なのか?

そんなことはない!

だってもし悪だと決めつけたなら、その原因はどう考えればいいのでしょう。

たとえば親が悪いんだって言い出したら、本人にどうしたらそれを避けることができるのかっていうね。

じゃあその親の育て方が悪いのは、親の親の育て方が悪いのか?ていうね。

キリがないです。

 

その人の恋愛観や価値観を否定するのは簡単ですが、どうしてそう考えるようになったのかを追求するのは難しい。

今まで育った環境とか関わってきた人たちだとか、そういうものから形成された考え方を否定されるのは、その人の人生そのものを否定される気がします。

誰にもそんな権利はないよなと思うわけです。

 

今までの自分の人生で培われてきた価値観をまずは受け入れたうえで、その後の人生で触れたものでまた新しく価値観は形成されていくのでしょう。

だから本人が変わりたいと思わなければ、他人が人を変えることはできないと思いました。

 

私はⅠくんのために変わることはできなかったし、彼もそうだった。

自分がそうなりたいと思えたらきっと変われたはずだったけど、そうはならなかったんです。 

合わせられる範疇を越えていたので、仕方なかったんですよねきっと。

 

今の恋愛で意識していること

 

私はこれからは自分に嘘をついた恋愛は2度としません。

相手に変わってほしい強要もしません。

恋愛に生活全部をかけるようなことをしません。

あくまで人生の娯楽として、 自分を豊かにするためのスパイスとして、苦楽も悲喜も味わいたいなと思います。

 

恋愛を神聖なものみたいに扱うのはやめました。あの頃は若かったのもあるけれど(笑)

気軽~に身軽~に扱うことにしたら、過去の恋愛で重く慎重に扱っていたものが嘘みたいに楽しいです。

 

こうやって文字に起こせるだけトラウマが回復したのだなということで…長々ここまで読んでくださって本当にどうもありがとうございます。

 

Ⅰくんもどこかで元気に、楽しく生きていてくれたらいいな…

 

 

 

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