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無償の愛なんて信じない【恋愛編】

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こんにちまる!なぺこです。

 

突然ですが

私は無償の愛というものがイマイチ信じられません。

っていうか、こわい

無償の愛を主張してくる人がこわい。

 

大きな愛情、見返りを求めない心…

キレイな意味として使われている無償の愛という言葉。

案外みんな気軽な意味で使っているのかもしれません。

私が重く扱い過ぎ?

 

 

私の中で難しいテーマでうまく言葉に出来るかわかりませんが、今回はそんなお話をさせて下さい〜

愛情にも親子愛や家族愛などいろいろあります。

今回は恋愛としての愛情を主にしての話ということでよろしくお願いします。

 

 

 

一切の見返りを求めないなんてムリ

 

無償とは一切の見返りを求めないこと。

はい、まずこの時点で「そんなもんあるか⁉」と思うわけです私は。

 

見返り、というとなんだか卑しい…

なので今回はお返しと呼ぶことにしますけど、私はお返しが欲しいです

 

お返しに何を望むのかは人それぞれ

 

たとえば恋人にプレゼントをあげたなら、同等の金額の物を返して欲しいという人もいれば、

喜んだ顔が見られれば充分よ♡という人もいると思います。

そのバランスは一般的な天秤ではなくて、その当人達の基準。その合う合わないが相性というものではないかなぁと思います。

 

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はた目には釣り合っていないようなバランスでも当人たちが釣り合っていればいいのです。質量は周りからはわからないから。

 

「喜んだ顔が見られれば充分」というのがお返しとして一般的には少ない、それは無償とも感じられます。

でも、じゃあ、喜んでくれなかったら?

「こんなの趣味じゃないよ」と突っ返されたら?

ぜったい傷付くし、不満に思います。

喜んでくれるというお返しがなかったら不満に思うということは、やっぱり無償ではありませんよね。

 

与えて尽くして、それでも冷たくあしらわれる!っていう人は、それが嫌なら離れるでしょう。嫌じゃないなら相手からは物理的には何も貰ってなくても、実はそういう扱いをされることがお返しになっているドMなのかもしれないし…(笑)

尽くしてる自分が気持ちいい、っていう充足感をもらっているのかもしれない。

 

カタチは違えど、何かしら与えて受け取るもののバランスが取れていないとその関係は長続きしないものだと私は思います。

 

嚙み合わないのは相性と愛情が足りない

 

自分が与えるばっかりで、お返しが貰えてない。

そう思うのは、あなたが与えていると思っているものは相手にとってはとるに足らないもので、相手は与えられていることに気づいていないのかもしれません。

 

欲しくもないものを過剰に与えられて重い。

そう思うのは、相手はあなたの反応などは二の次で、尽くしている自分に酔って自給自足しているのかもしれません。

 

 

プレゼントで全く好みが違うものを押し付けられたら有難迷惑なように、物以外の愛情のカタチにも好みがあると思います。

 

あの人からは何をもらってもうれしい♡なんて本当ですか?

私なら、ゴ◯ブリの詰め合わせをギャグでも贈られたらどんなに好きだった人でも冷めると思われます。

でもそれを笑ってくれる人も世の中にはいるかもしれません。

 

相手が欲しい愛情を与え、自分がほしい愛情を受け取る。

それが噛み合うためには本当にふたりの相性がいいか、

お互いが相手を想って好みそうなものを探したかのどちらかではないでしょうか。

 

相性ぴったんこの相手を探すのはなかなか難しいかもしれません。

でも、そこそこの相性を愛情で補うことは可能で、それがうまくいってるカップルのほとんどではないかなと勝手に想像しています。

 

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無償の愛があるとしたら

絶対的強者からのおこぼれ(笑)

 

私が無償の愛を感じる時が全くないわけではありません

相手がもうものすごく大きな力を持っている存在である場合とか。

たとえば、海をながめている時です。

広大な海と空。太陽の光を全身に浴びて、潮風に包まれて満たされた気持ち。

あの時の「ああ、しあわせだな」という気持ちを思い出すと、

「あれは無償の愛だな」と感じます。

自然からすれば、与えたくて与えているものじゃないです。

膨大なパワーのおこぼれを私が勝手にもらって、勝手に愛だなぁなんて思ってるだけで(笑)

 

めちゃくちゃ力のある天下の大富豪が有り余るお金をバラまいたとしても、庶民は喜ぶけれど大富豪は気分でやっただけで明日には忘れてるかもしれません。

 

与える側がどうでもいいと思っているから、与えたという自覚すらない。もしくは忘れてしまう。

 

与えた自覚がないのだからお返しも望まない。

無償の愛は「どうでもいい」こと。

 

つまり「与えた」という自覚を持ってしまったら、無償の愛には成りえない!

というのが私の持論になります。

 

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基本的に無償の愛をあらわすことはできない

 

たまには私の日常でも、「あの時はありがとう」と言われて「え?なんのこと?」となるときがあります。

何の気なしに当たり前だと思ってしたことが誰かの役に立った。

その時は無償の愛を与えていたのかもしれません。

 

与えた側は無自覚ということは、受け取った側しか感じることができませんね。

ただ受け取る側はそれが本当に無償なのかわからない…

なぜなら、与えた自覚があったのかどうかは与えてくれた人に聞かなきゃわからないから。

 

「この愛は無償なんだ~ありがたいな~」と当たり前のように享受するのは危険です。

お返しちょうだいよ!と堂々と言える日本人は少ないでしょうから何も主張しないかもしれないけれど、本当はお返しが欲しいと思っているかもしれません。

それを返さずにいたら、相手の不満はどんどん溜まっていくばかりです。

 

本当に無償なら与えた側は気づかないし、受け取る側は判断しかねる。

結局同等の人間関係の中での無償の愛なんて、誰も「ここにある」なんて言えないものなんですよ。

 

対等であるためには有償であるべき

 

結局愛を受け取る側も無償かどうかはわからない。ということなら有償として扱った方がいいんです

無償の愛に幻想抱くより、目の前の恋人を失わない方が大事でしょ。

 

有償として扱う、なんて堅苦しい書き方しましたけどつまりは、

まずお返しとして「ありがとう」と感謝する、という幼稚園から習うようなことがやっぱり大切だと思うんです。

無償の愛だったならそれでキョトン?となるけれど、ありがとうと言われたらやっぱりうれしいし。

ありがとうと言ってくれるだけでお返しとして十分な人はそれで満足だし。

あなたの恋人がもっと違うものも欲しがる人ならもっとあげればいい。もっと要求されるのが面倒だと感じるならふたりは合っていません(笑)よく話し合いましょう…(/ω\)

 

 

私は恋愛するのなら、相手と対等であることを望みます。

私の中には感覚的に天秤が出てくるんです。相手とのバランスをはかる天秤です。

 

恋人なんだから与えられて当たり前、なんて上から目線もきらい。

恋人の自分があげたものならなんでも喜んでくれるでしょ、っていう押し付けもきらい。

恋人だから自分と相手の考えは一緒のはず!っていう思い込みがきらい。

無償の愛というものは、そういった考えを強制させられているようでこわいんです。

 

ひとりの個人として対等に向き合うから、してもらったことは何かの形で感謝を返したい。

相手が望んでいることをちゃんと探したい。そして喜んでほしい、わかりやすく表現してほしい。

感謝の表現は、過剰なくらいでちょうどいい!!(゚∀゚)✨

 

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まとめ

 

恋愛するうえで、与えて受け取るもののバランスが取れていないとその関係は長続きしないと思います。どちらかに不満が溜まって天秤が壊れてしまうのが関の山。

そのバランスは一般的な天秤ではなくてその当人達の基準なので、一見無償の愛に見えるようなものもあるけれど、人によって程度はどうあれ何かを「与えた」と思ったら何かお返しを望んでいるはず。

 

「与えた」という自覚を持ってしまったら、無償の愛には成りえない。

 

無償の愛だと勝手に決めつけることは、ひとりよがりです。

恋人を自分の基準に当てはめることは対等な扱いじゃないと思います。

嬉しかったことは感謝を表現しましょう。相手をよく見て、求めているものをあげましょう。対等で尊重するからこそ、有償の愛です。

 

 

親子愛となると、もう少し違ってくると思います。

それでも単なる無償とは私は思いませんが…それはまたいつか(^^)/

 

 

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